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東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
イングランド南部の旅(イギリス)
1994年4月
06. 黒太子エドワード
カンタベリー大聖堂の中には、フランス王ルイ7世も詣でたと言われる大司教ベケットの墓の他に、著名な人物の墓がある。
ベケット暗殺を命じたとも言われるヘンリー2世の子孫に当たる黒太子(ブラック・プリンス)エドワードの墓も、この大聖堂にある。
その墓の上の壁には、有名を謳われ、惜しまれつつ若くして死んだブラック・プリンスの武具が飾られている。
赤と青の地にイングランド王家のライオンとフランス王家の百合をあしらった華やかな彼の武具。しかし、これは実はレプリカだ。
彼の武具のオリジナルは、別の場所にあるガラス・ケースに収められている。色あせたオリジナル。しかし、むしろ600年の歳月を感じさせる。(下の画像)
黒太子(ブラック・プリンス)エドワード
- 1330年、イングランド王エドワード3世の息子として生まれた。
- 1343年、皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)となる。
- 1346年、百年戦争における代表的な戦いの一つとして有名なクレシーの戦いに指揮官として参加し、勝利を得る。
- 1356年、同じく百年戦争の代表的な戦いの一つポワティエの戦いに指揮官として参加し、フランス王ジャン2世を捕獲。
- 1367年、スペインのカスティリア王家の争いに干渉し、ペドロ王を復位させた。しかし、このスペインでの戦いにより、黒太子は健康を損ねたと言われる。
- 1376年、父王エドワード3世の死去の前年に黒太子が死去。
- 1377年、黒太子の父であるイングランド王エドワード3世死去。王位を継承したのは、当時10歳になる黒太子の息子リチャード2世だった。
- 1400年、前年に退位を余儀なくされたリチャード2世が、牢獄の中で死去。
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