|
トップページへ
東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
パリに住んだ...つもりの 9 日間
パリ + ロワール・ノルマンディ・シャルトル
(フランス)
2000年9月
サン・ドニ聖堂にあるフランス王家の墓
1. クローヴィス1世 (メロヴィング家)
フランス王家といえば、その始祖はメロヴィング家のクローヴィス(1世)だろうか。10代の半ばでフランク人の一部族の王となり、戦いに明け暮れる日々を過ごし、やがて現在のフランス北部一帯を支配する王国を建設した人物だよね。
パリ郊外のサン・ドニ聖堂には、クローヴィス1世の墓碑(下の画像)が残されている。だけど、これは後世になって作られたものなんだ。クローヴィス1世の本当の墓は、まだ発見されていないんだって。
フランス王家の代表的な名前といえば ルイ だよね。フランス革命によって処刑されたマリー・アントワネットの御主人ルイ16世もそうだし、王政復古後にはルイ18世も即位しているよね。その「ルイ」という名前の語源もクローヴィスなんだ。クロービス Clovisが変化して、ルイ Louis になったわけだ。
メロヴィング家初代フランス王クローヴィス1世 略年表
- 465年(あるいは466年)、フランク人の一部族の王キルデリクスの子クローヴィス誕生。
クローヴィスの祖父メロヴィクスの名前から、その子孫達はメロヴィング家と呼ばれた。
父キルデリクスの墓は、17世紀にベルギーで発見されている。
- 482年、父のキルデリクスの死去に伴い、10代半ばのクローヴィスがフランク人の一部族の王となった。
- 486年、西ローマ帝国(476年に滅亡)系のガリア軍司令官シャグリウスを破り、クローヴィスの勢力はロワール川流域にまで広がった。
- 491年、チューリンゲン人を打ち破り、ライン地方を征圧した。
- 496年、アラマンニ族を打ち破り、スイスにまで勢力を伸ばした。
この頃、クローヴィスは、臣下3,000人と共にローマン・カトリックに改宗したらしい。ブルグント王家より迎えた王妃クロティルドの影響だったとも言われる。
- 507年、アラリック2世指揮下の西ゴート王国軍を撃ち破った。
その結果、西ゴート王国は支配の重心をスペインに移し、首都をトレドに置いた。
- 511年、フランク王クローヴィスがパリのシテ島で死去。その墓は未だに発見されていない。
右上の画像は、夕暮れのセーヌ川に浮かぶシテ島(パリ、フランス)。
フランス王家の墓
Copyright (c) 2002 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。
|