東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ...つもりの 9 日間

パリ + ロワール・ノルマンディ・シャルトル
(フランス) 2000年9月



06. ブロワ城

私たちを乗せたバスは田園地帯を走りつづける。ロワール流域のこのあたりは農業地帯なんだそうな。アスパラガス、イチゴ、ひまわり、麦、とうもろこしが栽培されている。

もちろん、イチゴやアスパラガスの季節はとっくに終わっている。麦は夏前に収穫されている。というわけでバスの周囲の畑に見えるのは、とうもろこしばかり。ときおり、ひまわり畑も見えるけど、花は終わっているからねえ...。

田園地帯

やがてバスはロワール河沿いの道を走り始めた。やがて遠くにブロワの街が見えてきた。人口は5万人。

ブロワ城 バスはロワール河を挟んでブロワの街の対岸を走る。

川面に映っているのはブロワ城。ちなみに「ブロワ」とは、ケルト語で狼を意味する。




城山の下でパスを降り、歩いて城山に登る。(注意:ブロワ城には大きなバッグを持ち込むことが出来ない。出切れば荷物はバスの中に残しておく方が良い。)

城の入口にはハリネズミが描かれている。これはルイ12世の紋章。また城の内部にはサラマンダー(トカゲ)が描かれている。これはフランソワ1世の紋章なのだそうだ。

余談ながら、そのフランソワ1世。ハプスブルク家の皇帝カール5世の宿敵となったのが、フランス王フランソワ1世。また、パリのルーブル要塞をフランス王家の王宮と定めたのもフランソワ1世なんだそうな。

ブロワ城の歴史

  • 13c、ブロワ伯爵夫人により城の基礎が築かれた。
  • 15c末 - 16c初頭、ルイ12世によりゴシック様式に改築。
  • 16c、アンリ2世、更にイタリア古都フィレンツェの名門メディチ家出身のカテリーナ・デ・メディチが所有。宗教戦争の際には、フランス王アンリ3世によるギーズ公暗殺の舞台となった。
  • 16c末、アンリ4世が即位し、政治の中心はロワールを離れ、パリに移った。
  • 17c、オルレアン公が古典様式に改築。
  • 現在、ブロワ市が所有・管理している。

イタリアに野心を燃やしたフランス王ルイ12世

ところで、このページに何度も登場しているフランス王ルイ12世なんだけど、イタリアに大いなる野心を燃やし、一時期は成功しつつもあったみたい。

そんなフランス王ルイ12世がイタリアに残した遺産がローマにあるトリニティ・ディ・モンティ教会。そんな教会、知らない ?? ほら、あのローマの観光名所スペイン階段の上にある教会だよ。スペイン階段の風景には、あの教会は大事だよね。

しかしながら、最終的に彼の野望は果たされることはなかった。西暦1513年には、フランス王ルイ12世はミラノの支配を放棄せざるを得なくなっているんだ。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索



次のページ
前のページ

関連書籍

参考になる・・・かもしれない本を探してみました。(本の題名をクリックすれば詳細が表示されます。)




姉妹サイト 「イタリア三昧+マルタ」



イタリアとマルタに興味のある方は、姉妹サイト「イタリア三昧+マルタ」をチェックしてみてくださいね。ローマフィレンツェナポリピサアマルフィなどイタリア各地、マルタ島とゴゾ島の入門編聖ヨハネ騎士団にゆかりのマルタを尋ねた旅行記を集めました。


姉妹サイト 「ヨーロッパの歴史風景」



ヨーロッパに興味のある方は、この「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイトである「ヨーロッパの歴史風景」(先史・古代編中世編近世編近代・現代編)にも行ってみてくださいね。


Copyright (c) 2000-2001 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。