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東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
アルザスとストラスブール フランス
- ワインと美食と歴史の旅 -
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ストラスブール大聖堂前の 広場にあるカフェで一休み
ストラスブール大聖堂の内部を歩き回っている間に、寒くなってきた。昨日は暑かったから油断して薄着でいる上に、ヴォージュ山脈で採掘される赤い石で築かれた大聖堂の中は冷え冷えとしているんだ。
大聖堂の前の広場の一画にあるカフェの日当たりの良いテーブルに落ち着き、「ドゥ・カフェ・オ・レ(カフェ・オ・レを二杯)」と注文。カフェの若者は「ツバイ(二杯ね)」と応える。おや、ドイツ語、もしくはアルザス語かな。今でもアルザスにはドイツ語・アルザス語を話す人々がいるんだね。
アルザスの言語事情と アルフォンス・ドーデの「最後の授業」
西暦4世紀から6世紀にかけて、このアルザス地方には西ゲルマン系のアレマン人が移り住んできた。彼らの話す言葉が発達してアルザス語が形成されたんだそうな。つまり、アルザス語はドイツ語の親戚なんだ。ちなみに今でもアルザスには西ゲルマン系アレマン方言を語源とする地名や人名が多く残っているらしいよ。
その後、16世紀にはルターによる高地ドイツ語訳聖書が普及した結果、アルザスでは話し言葉としてのアルザス語と書き言葉としての高地ドイツ語が定着したんだそうな。
しかし、17世紀にはアルザスは太陽王ルイ16世の統治するフランスに併合された。フランス王国はアルザスにおいてもフランス語を公用語とする条令を定めたらしい。でも、1780年代になってもフランス語を話すアルザス人は、人口の2パーセントにすぎなかった。
18世紀末、フランス革命政府がアルザスに送り込んできたサン・ジュストは、アルザス文化を嫌っていた。彼はアルザスの全ての街や村にフランス語の学校を設立するように命じたんだ。でも、その命令は実行できなかった。なぜならアルザスにはフランス語を教えることのできる教師が少なかったから。革命にありがちな理想と現実のギャップ。
西暦1871年、普仏戦争においてフランスが敗れ、ドイツがアルザスを併合した。17世紀に神聖ローマ帝国がアルザスを失って以来、二世紀ぶりにドイツがアルザスを取り戻したわけだ。
西暦1873年、フランスの作家アルフォンス・ドーデの短編集「月曜物語」の中で「最後の授業」が発表された。ドイツに併合されたアルザス地方の小学校で、アメル先生が最後のフランス語の授業を行うという話だよね。
この物語はフランス各地で反響を引き起こした。ところが肝心のアルザス地方では「最後の授業」は話題にもならなかったらしい。なぜならばアルザスの人々にとっての母語は、フランス語ではなくてアルザス語だったから。
その後もアルザス地方はドイツに支配されたりフランスに支配されたり。第一次世界大戦・第二次世界大戦と戦乱のたびに苦しんだわけだ。また支配者が変わるたびに、ドイツ語を押し付けられたり、フランス語を強制されたり...。
そして第二次世界大戦が終わって既に半世紀以上が経つ。アルザス地方でもフランス語が普及し、都市部の子供たちの3分の2以上、農村部の子供たちの3分の1以上がアルザス語を話せなくなっているんだそうな。
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