司教都市ストラスブールの大聖堂ストラスブールの街の歴史は、古代ケルトや古代ローマ帝国の時代にまで遡ることが出来る。でも、西暦451年にはゲルマン系アレマン人のアルザスへの侵入によって、ストラスブールの街は壊滅させられている。既に古代ローマ帝国の兵士たちは、ローマあるいはイタリア防衛のためにアルザスから撤退していたんだ。そんな廃墟から再び街を発展させたのは、そこに住み着いたゲルマン系アレマン人だった。その後、ストラスブールの街はフランク王国のクローヴィスの支配下に入って発展を続けている。そして西暦983年、神聖ローマ皇帝オットー2世は、ストラスブール司教エルシャンボーをストラスブールの都市伯に任じた。以後、司教の支配するストラスブールは「司教都市」となった。
ロアン宮から歩いてすぐに目に入るのが、右の画像にあるストラスブール大聖堂の南翼ファサード。司教都市時代のストラスブールでは、この大聖堂南翼にあるバルコニーから、歴代の司教が裁判の判決を下していたんだそうな。文字通りにストラスブールの街の中心でもあった大聖堂。ストラスブールの長い歴史を見守っていただけじゃなくて、大聖堂自身も長い歴史を誇っているんだ。 |
ストラスブール大聖堂建設の歴史西暦496年、メロヴィング朝フランク王国のクローヴィスがキリスト教に改宗した。ストラスブールに最初の教会を建てたのはクローヴィスだったという話もある。西暦1002年には神聖ローマ帝国の帝位継承争いのあおりを受けて、シュヴァーベン大公の軍によって襲撃され、当時のストラスブール大聖堂も大きな被害を受けたらしい。その修復も終わった西暦1007年には落雷。大聖堂は完全に焼失しちゃった。 西暦1015年、大聖堂の司教座聖堂参事会によって組織された「ノートルダム事業団」によって、ストラスブール大聖堂の再建工事が始まった。11世紀の半ばには、ロマネスク様式の大聖堂が完成したらしい。ところが、その大聖堂も失火によって焼失してしまった。 そして西暦1176年、現在のストラスブール大聖堂の建設工事が始まった。着工当初はロマネスク様式だったんだけど、やがてゴシック様式が取り入れられていくんだ。 ストラスブール大聖堂西正面ストラスブール大聖堂の西正面の工事が始まったのは西暦1277年のこと。下の画像は大聖堂西正面の入口なんだけど、その中央には聖母子像。聖母子像は西暦1482年にストラスブール市の正式のシンボルとなっている。
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