朝が来ても話題は昨夜のディナーミシュラン三ツ星のレストラン「ビュールイーゼル」でのディナーの翌朝となった。それでも私たちの話題は昨夜のディナー。それほどに印象深いディナー、思い出に残るディナーだったんだ。だけどね、思い出でお腹はふくれない。昨夜はあれほど美味しいものをあんなに食べたというのに、朝が来ればやっぱりお腹は空く。今日の観光の活力のためにも、朝食は必要だよね。 ストラスブール司教の宮殿 ロアン宮
ホテルを出発し、マドレーヌ橋を渡った私たちがやってきたのは、ロアン宮(あるいはローアン城)。右の画像は、そのロアン宮の門なんだ。現在のロアン宮の中には、ボザール美術館、考古学博物館、装飾芸術博物館が設けられている。でも、興味深いのはこのロアン宮自体の歴史であり、この門をくぐった人々の歴史なんだ。 ストラスブール司教の地位を独占した
中世のアルザスは神聖ローマ帝国に帰属していた。そんなアルザスがフランスに併合されたのは、17世紀前半の三十年戦争の頃だった。しかし、アルザスの中心都市ストラスブールだけはフランスによる併合を免れていたんだ。 |
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マリー・アントワネットと枢機卿ルイ・ド・ロアン西暦1771年、後にフランス国王ルイ16世となる王子と結婚したオーストリアのハプスブルク家の王女マリー・アントワネットが、このロアン宮にやってきた。その折に彼女はロアン家の出身で当時は司教補佐だったルイ・ルネ・エドゥアール・ド・ロアンに会ったらしい。やがて枢機卿となったルイ・ド・ロアンは、後に「首飾り事件」に関与し、マリー・アントワネットに対する国民の憎しみを増すこととなる。 その後、フランス革命が起こり、西暦1793年にフランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットはギロチンによって処刑される運命となったんだ。 ロアン宮とナポレオンフランス革命の後、ストラスブールにあるロアン宮の主人であるロアン家の司教はフランスを逃れて亡命した。その後、西暦1804年には英雄ナポレオンがフランス皇帝となり、それを祝福したストラスブール市はロアン宮を皇帝ナポレオンに贈ったんだ。その翌年の西暦1805年5月、フランス皇帝ナポレオンはストラスブールにあるロアン宮に泊まっている。やがてアウステルリッツの会戦で勝利を得たナポレオン皇帝は、その帰路にもストラスブールに立ち寄ってロアン宮に宿泊したんだ。 活版印刷術の発明者 ヨハン・グーテンベルク
上に紹介したロアン宮近くで見かけたのが、右の画像にあるヨハン・グーテンベルクの像。グーテンベルクといえば、15世紀に活版印刷術を発明した人物として有名だよね。グーテンベルクはドイツの都市マインツの生まれなんだけど、市参事会と対立したことによってグーテンベルク家はマインツから追放されちゃったんだ。そしてストラスブールに移住したのが、西暦1430年代のことだと言われている。 このストラスブールや周囲のアルザス地方で、彼はワイン作りのためのブドウ圧搾機を見た。それをヒントに活版印刷術を考案した...とアルザスの資料では言われている。つまり、グーテンベルク自身はドイツの出身だけど、活版印刷術を発明した舞台はストラスブールだと。 いずれにせよグーテンベルクの発明した活版印刷術を利用して、聖書などが印刷され出版された。それが宗教革命の基盤をなしたとも言われるんだけど、やがてストラスブールやアルザスでは苛烈な宗教戦争が繰り広げられたのは歴史の皮肉かな。 ストラスブール時代のグーテンベルクは、債権者によって製作中の印刷機を差し押さえられたりして不遇な日々を過ごし、失意のうちに西暦1444年にストラスブールを離れたと言われる。その怨念がストラスブールを宗教戦争に巻き込んだわけじゃないだろうけどね。
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