東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「モン・サン・ミシェルの旅」 (フランス)

ついでに、サン・マロ、パリのアンヴァリッド、ナポレオンのお墓参り

10. フランス皇帝ナポレオンのお墓 (パリ)

アンヴァリッド 廃兵院に立つフランス皇帝ナポレオンの像

今日はちょいとだけフランスの首都パリを歩くわけだけど、その限られた時間の中でアンヴァリッド 廃兵院へやって来た目的は、その中にあるナポレオンのお墓を見ることだった。

フランスの首都パリのアンヴァリッド 廃兵院に経つフランス皇帝ナポレオンの像

でも、その前に時間をちょいとだけ戻す。このアンヴァリッド 廃兵院に到着した時、その建物の上から見下ろしていたのが、上の画像にあるフランス皇帝ナポレオンの像だったんだ。アンヴァリッド 廃兵院に来たら、この像も見落とさないようにしなきゃね。

フランス皇帝ナポレオンの肖像画

そしてアンヴァリッド 廃兵院の中の軍事博物館の中で見たのは、下の画像にあるフランス皇帝ナポレオンの肖像画。ちょいと細面に描かれているかな。

フランスの首都パリのアンヴァリッド 廃兵院で見たフランス皇帝ナポレオンの肖像画

この皇帝ナポレオンが退位し、ブルボン家の王政が復活したのは西暦1814年のことだった。但し、翌年の西暦1815年にはナポレオンの百日天下もあったけどね。

アンヴァリッド 廃兵院にあるフランス皇帝ナポレオンのお墓

百日天下の後のナポレオンは、大西洋に浮かぶセント・ヘレナ島に流された。そして西暦1821年に亡くなっている。亡くなる前のナポレオンは、パリのセーヌ川のほとりに戻ることを望んだらしい。でも、まだフランス皇帝ナポレオンの幻影に怯えていたイギリス軍は、ナポレオンの遺骸をセント・ヘレナ島に埋葬したんだそうな。

フランスの首都パリのアンヴァリッド 廃兵院のドーム教会の下にあるフランス皇帝ナポレオンのお墓

ところが西暦1830年に七月革命でフランス王となったルイ・フィリップは、ナポレオンの遺骸の帰国を容認した。そして西暦1840年、フランス皇帝ナポレオンの亡骸がパリのアンヴァリッド 廃兵院に安置された。そのナポレオンのお墓の様子が上の画像なんだ。

ところで、全くの余談が一つ。ナポレオンをアンヴァリッド 廃兵院に葬ることを容認したフランス王ルイ・フィリップなんだけど、フランス革命の前年の西暦1788年(15歳の年)にモン・サン・ミシェルを訪れている。但し、その頃のモン・サン・ミシェルの修道院は牢獄として使われていたらしい。

家族に囲まれたナポレオンのお墓

下の画像はアンヴァリッド 廃兵院の中のナポレオンのお墓を横から眺めた様子なんだ。お墓の周囲を歩く人々と比較すれば、このお墓の大きさがわかるでしょ。

フランスの首都パリのアンヴァリッド 廃兵院のドーム教会の下にあるフランス皇帝ナポレオンのお墓

ちなみに、このアンヴァリッド 廃兵院の中で、ナポレオンのお墓は家族のお墓に囲まれているんだ。ナポレオンの兄弟や息子たちのお墓だね。ちなみに、ナポレオンの兄ジョゼフ(スペイン王ホセ1世となり、フランスに対するスペイン独立戦争で苦労した)は西暦1844年に亡くなっているし、弟のジェロームはフランス皇帝ナポレオン3世統治下の西暦1860年に亡くなった。二人ともナポレオンがアンヴァリッドに葬られた時点でまだ生きていたんだね。でも、ナポレオンの息子のナポレオン2世は、西暦1832年に21歳で亡くなっている。

しかし、このアンヴァリッド 廃兵院の創設を命じたフランス王ルイ14世太陽王は、フランス革命から生まれた皇帝ナポレオンがここに葬られるとは思わなかっただろうね。


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