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東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
旧東ドイツの旅
1997 年 5 月
ベルリン、ポツダム、ライプツィヒ、マイセン、ドレスデン
ドイツ帝国 (19世紀)
- 1834年、ドイツ関税同盟成立。ドイツ連邦に属する39の領邦のうち、28カ国が参加した。
- 1838年、ベルリンとポツダムとの間に鉄道が開通した。
- 1839年、ライプツィヒとドレスデンとの間に鉄道が開通した。
- 1848年3月18日、ベルリンにおいて革命が成功した。しかし、翌年には反動勢力が権力を奪還。
- 1862年9月23日、パリ駐在大使だったオットー・フォン・ビスマルクがプロイセン王ヴィルヘルム1世によってプロイセンの首相に任命された。
- 1864年、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争において、デンマークがプロイセン・オーストリアに敗北。
- 1866年6月21日、ヘルムート・モルトケ指揮下のプロイセン軍がハプスブルク家支配下のボヘミアに侵入。
- 1866年7月3日、ケーニッヒ・グレーツの戦いに於いて、プロイセン軍がオーストリア軍に圧勝。
- 1866年8月23日、プラハにおいてプロイセンとオーストリアとの間に講和が成立した。以後、ハプスブルク家のオーストリアはドイツから排除された。
- 1870年7月19日、ナポレオン3世のフランスがプロイセンに宣戦を布告した。しかし、モルトケ指揮下のプロイセン軍がフランス軍を圧倒し、皇帝ナポレオン3世も捕えられた。
- 1871年1月1日、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間において、プロイセン王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝に即位、ドイツ帝国が成立した。これらの戦役での勝利を記念して、ベルリン市内に戦勝記念碑が建立された。
右の画像は、ベルリンの一角に立つ戦勝記念碑。
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争(1864年)、普墺戦争(1866年)、普仏戦争(1870-1871年)の三つの戦争における勝利を記念して建てられた。
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- 1871年5月、プロイセンとフランスとの間に講和が成立。フランスは巨額の賠償金を支払い、またアルザス・ロレーヌ地方はドイツの領有するところとなった。(これを題材にドーデは「最後の授業」を書いた。)
- 1890年3月18日、ビスマルクがドイツ帝国の首相を辞任。
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