東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
旧東ドイツの旅
1997 年 5 月
ベルリン、ポツダム、ライプツィヒ、マイセン、ドレスデン
神聖ローマ帝国とハプスブルク(10世紀 - 17世紀)
- 919年、ドイツにおいてカロリング朝が断絶し、ザクセン族出身のハインリヒ1世がドイツ王となった。
- 933年、ハインリヒ1世がリアトにおいてやがて中世ハンガリー王国を建国することになるマジャール族を破った。
- 936年、ハインリヒ1世の息子オットー1世がドイツ王となった。
- 955年、オットー1世がレッヒフェルトの戦いでマジャール族を撃ち破った。
- 962年、オットー1世(大帝)がローマ皇帝として戴冠し、神聖ローマ帝国が成立した。
- 976年、オットー2世によりオストマルク(東部辺境伯領)が創設され、バーベンベルク家に与えられた。
- 1077年1月24日、カノッサの屈辱。皇帝ハインリヒ4世がイタリア北部のカノッサにおいて、ローマ教皇グレゴリウス7世に破門の撤回を乞い求めた。
- 1080年、皇帝ハインリヒ4世が司教会議により教皇グレゴリウス7世を廃位し、ラヴェンナ司教ギベルトゥスをクレメンス3世として教皇位につけた。
- 1084年、皇帝ハインリヒ4世がローマを占領し、教皇クレメンス3世により戴冠を受けた。
- 1085年、教皇グレゴリウス7世がイタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノにて死去。
- 1122年、ウォルムス協約。皇帝と教皇との間の聖職叙任権闘争は一応の終息に至った。
- 1152年、シュタウフェン家の皇帝フリードリヒ1世赤髭王(バルバロッサ)がオストマルクをオーストリア公領に昇格させ、バイエルン公国から独立させた。
- 1190年6月10日、小アジアにあるキリキア近くのセレフ川に於いて、皇帝バルバロッサが溺死。
- 1241年、ヴァールシュタットの戦いに於いて、ドイツ諸侯連合軍がモンゴル軍に大敗を喫した。
- 1256年から1273年、大空位時代。
- 1273年、ハプスブルク家のルドルフ1世が皇帝となった。
- 1282年、ハプスブルク家がオーストリア公領を獲得。
- 1348年、ペストの流行により、ドイツの人口の三分の一が失われた。
- 1356年、皇帝カール4世により金印勅書が発布され、七選帝侯が皇帝を選挙する制度が確立した。
- 1517年、マルティン・ルターが95か条の論題を提示。しかし、最近の研究では、彼の論題が教会の扉に提示されたということは疑われている。
- 1519年、ハプスブルク家のカール5世が皇帝に即位。
- 1529年、スレイマン大帝指揮下のオスマン・トルコ軍によるウィーン包囲。
- 1531年、プロテスタント諸侯がシュマルカルデン同盟を結んだ。
- 1555年、アウグスブルクの和議。諸侯がルター派を信仰することが容認された。
- 1618年から1648年、三十年戦争。ブランデンブルク・プロイセンやザクセンは新教連合(ウニオン)に参加し、ハプスブルク家の皇帝を核とする旧教連盟(リガ)と争った。
右の画像は、ドレスデン市内にあるザクセン公家の居城。(詳しくはココをクリック。)
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- 1648年10月24日、ヴェストファーレン条約。ドイツ諸邦の主権が認められた。また、スイスやオランダの独立が公式に認められた。カルヴァン派の信仰も容認された。
- 1658年、ライン流域とドイツ北部の諸邦によるライン同盟が結成され、ハプスブルク家に対抗した。ブランデンブルク・プロイセンとフランスも同盟に参加していた。
- 1683年、オスマン・トルコ軍による第二次ウィーン包囲。ポーランド王ヤン3世(ソビエスキ)がウィーン救援に赴いた。
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