東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
旧東ドイツの旅
1997 年 5 月
ベルリン、ポツダム、ライプツィヒ、マイセン、ドレスデン
マイセン略年表
(マイセン辺境伯 - マイセン磁器の生産)
- 928年頃、ザクセン朝のドイツ王ハインリヒ1世がマイセンに城砦を築いた。
- 965年、神聖ローマ皇帝オットー1世(大帝)がマイセン辺境伯領を設置。以後、マイセンはスラヴ地域へのドイツ人の進出とキリスト教化の基点となった。
- 968年、オットー1世がマイセンに司教区を設けた。
- 1089年、マイセン辺境伯領が、ザクセンの有力貴族ヴェッティン家に帰属した。
- 1471年、マイセンに新しくアルプレヒト城が築かれた。
右の画像は、マイセンを見下ろすアルプレヒト城の一角。
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- 17世紀後半、清朝支配下の中国が鎖国政策を採った為に、ヨーロッパで人気の高かった中国製陶磁器の入手が困難となった。
- 1705年、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグストの命により、ヨハン・フリードリヒ・ベドガーがアルプレヒト城内で磁器生産の実験を始めた。
- 1709年、ベドガーがマイセン磁器生産の方法を確立。
- 1710年、アルプレヒト城内にザクセン公の磁器製作所が建設された。
- 1720年、マイセンにおいて、日本の柿右衛門風の磁器の生産が始まった。
- 1722年、マイセンの磁器に2本の剣が青く描かれるようになった。
- 1739年、東洋の影響を受け、青い玉ねぎ模様が取り入れられた。
- 18世紀半ば、ヨーロッパの先頭を切って、ロココ風の陶磁器の生産を始めた。
- 18世紀後半、イギリスのウェッジウッドがマイセンの市場を脅かした。
- 1945年、ドイツの敗戦に伴ない、ソ連がマイセンの工場を接収した。
- 1949年、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の成立に際し、ソ連がマイセンの工場を返還した。
- 国立マイセン磁器工場が設立された。
右の画像は、現在のマイセン磁器の生産の様子。
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