東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
旧東ドイツの旅
1997 年 5 月
ベルリン、ポツダム、ライプツィヒ、マイセン、ドレスデン
ライプツィヒ略年表
- 10世紀前半、スラヴ人の集落の隣にドイツ人が集落を作ったのがライプツィヒの起源となった。
- 12世紀半ば、ザクセンを支配するヴェッティン家のマイセン辺境伯の支配下に入った。
- 1170年、ライプツィヒのメッセ(大市)が始まった。この頃から自治権を拡大し始めた。
- 1409年、ライプツィヒ大学創立。
- 1519年、ルターとエックとの間でライプツィヒ論争が戦わされた。ここでルターは、イタリアのローマからカトリック世界を支配する教皇の絶対的権威を否定した。
- 1632年11月、ライプツィヒ近郊のリュッツェンにおいて、三十年戦争の主役であるスウェーデン王グスタフ・アドルフと皇帝の傭兵隊長ヴァレンシュタインが激突。スウェーデン軍が勝利を収めたが、スウェーデン王は戦死。
- 1642年から1650年、スウェーデン軍によってライプツィヒが占領された。
- 1723年、ヨハン・セバスチャン・バッハがライプツィヒの聖トマス教会のカントール(合唱長)に就任。
- 1765年から1768年、法律を学ぶためにゲーテがライプツィヒに滞在した。
右の画像は、ライプツィヒ市内に立つゲーテ像。(詳しくはココをクリック。)
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- 1989年10月、自由化を求めるデモがライプツィヒで多発した。ベルリンの壁が崩壊するのは、その翌月のこと。
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