東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旧東ドイツの旅 1997 年 5 月

ベルリン、ポツダム、ライプツィヒ、マイセン、ドレスデン



04. ブランデンブルク門

私たちのバスは、ブランデンブルク門に到着。バスを降りるや否や、ブランデンブルク門に向かってカメラを構える。

ベルリンの壁が崩壊したのが1989年、ドイツが再統一されたのが1990年。ほんの数年前のことだ。それまでは、この場所に立って気軽にカメラを構えるときが来るとは、思ってもいなかった。

ブランデンブルク門と勝利の女神像

ブランデンブルク門全景 ブランデンブルク門の上には、4頭立ての馬車に乗る勝利の女神像が見える。

あの女神もプロイセン・ドイツの運命に翻弄された歴史を持っている。

1806年10月、プロイセン軍はイエナ・アウエルシュタットに於いてナポレオン軍に敗北。10月27日には、フランス皇帝ナポレオンはプロイセン王国の首都ベルリンに入城

そのナポレオンは、ブランデンブルク門の勝利の女神像を、パリに持ち帰ってしまった。女神がベルリンに返還されたのは、フランス皇帝ナポレオン没落後の1814年のことだった。

余談ながら、ナポレオンというのは彫像を集めるのが好きらしい。彼はイタリアの海洋都市国家ヴェネツィアからも4頭の馬の像を持ち帰っている。

妙な収集癖があるんは、キミも同じやけどな。

もう一つ大事なことを忘れていた。このブランデンブルク門は、第2次大戦末期に損傷を受け、勝利の女神像も破壊されてしまった。今の勝利の女神像は戦後になって復元されたものである。




プロイセン王国の凱旋門

ブランデンブルク門の石柱 ゆっくりと門まで歩く。遠くから見ていてはわからないが、非常に大きな門だ。

それも当然、この門は上り坂にあったプロイセン王国の凱旋門だったのだから。

着工されたのが、1788年。大王と称されたフリードリヒ2世の死の2年後のことだった。

路上の赤ペンキ

ブランデンブルク門の前の赤ペンキ ブランデンブルク門を通って、門の反対側に出る。かつての西ベルリン側だ。

路上に一筋の赤ペンキの線。かつてベルリンの壁があった場所を示している。

1961年8月に築かれたベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月。その後、壁の大部分は撤去された。

但し、壁の一部は今でも保存されており、観光客にも解放されている。今からベルリンの壁を見に行く予定になっている。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


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