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キプロスの歴史
キプロスの住民の多数を占めるのは、ギリシア系の人々だと言われている。しかし、その歴史は他民族による支配の歴史だった。
プトレマイオス朝エジプト やがてアレクサンダー大王は若くして死ぬ。彼に従っていた将軍プトレマイオスは、エジプトに王朝を開いた。紀元前 318 年、プトレマイオスは弟のメネラウスを派遣してキプロスを征服した。メネラウスに抵抗したパフォスの王ニコクレスは、敗れて自殺した。 紀元前 306 年、やはりアレクサンダー大王の将軍だったアンティゴノスの息子であるデメトリウスがキプロスを征服。しかし、プトレマイオス朝エジプトは、紀元前 295 年にキプロスを奪還した。
エジプトを支配するプトレマイオス朝は、王族を派遣してキプロスを統治させた。しかし、分裂と内紛によりプトレマイオス朝は弱体化する。 そのころ、イタリアのローマから勢力を拡大していたローマ帝国は、この地域にも食指を伸ばしていたんだ。やがてキプロスは古代ローマに奪われた。紀元前 58 年、古代ローマは初代総督をキプロスに派遣した。 ローマ 紀元前 47 年、古代ローマのシーザー(カエサル)はキプロスをエジプトに返還した。エジプト女王クレオパトラ 7 世への贈り物だった。 紀元前 31 年、アクティウムの海戦において、シーザーの養子オクタヴィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストウス)が勝利を得る。敗れたのは、アンソニーとクレオパトラ。ここにプトレマイオス朝は滅亡し、キプロスは再び古代ローマの支配下に入った。 紀元前 29 年、ローマから派遣されたキプロス総督マルクス・キケロ(雄弁家キケロの息子)がパフォスに着任した。これ以後、キプロス そして パフォスはローマの平和を謳歌する。
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