東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

キプロス 1999年12月


キプロスの歴史
紀元前 15 世紀から 紀元前 1 世紀まで

キプロスの住民の多数を占めるのは、ギリシア系の人々だと言われている。しかし、その歴史は他民族による支配の歴史だった。

ヒッタイトからペルシア

紀元前 15 世紀、いくつものギリシア系都市国家が栄えていたキプロスは、小アジアを基盤に勢力を伸ばしたヒッタイトの影響下に入った。

やがてヒッタイトは滅亡する。しかし、古代エジプト、続いてフェニキアがキプロスを支配した。

紀元前 750 年から 663 年にかけて、キプロスはメソポタミアから勢力を拡大したアッシリアの勢力下に入った。

紀元前 663 年には、キプロスは独立を回復。

しかし、紀元前 586 年には、ペルシアのキュロス大王に服属する。

紀元前 499 年、小アジアのギリシア系の都市国家群がペルシアに反旗を翻した。キプロスの諸王はギリシアと組み、海戦においてペルシア艦隊を撃ち破る。しかし、キプロスで行われた地上戦では、一部のキプロス勢力の寝返りにより、ペルシアが支配を保った。

アレクサンダー大王

紀元前 336 年、 23 歳のアレクサンダーが、父王の残した軍団と王国を受け継いだ。紀元前 333 年、アレクサンダー大王はイッススにおいてアケメネス朝ペルシアのダリウス 2 世の軍を撃ち破った。アレクサンダーの軍には、彼に従属していたキプロスの諸王の兵士達も加わっていた。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


関連書籍

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プトレマイオス朝エジプト

やがてアレクサンダー大王は若くして死ぬ。彼に従っていた将軍プトレマイオスは、エジプトに王朝を開いた。紀元前 318 年、プトレマイオスは弟のメネラウスを派遣してキプロスを征服した。メネラウスに抵抗したパフォスの王ニコクレスは、敗れて自殺した。

紀元前 306 年、やはりアレクサンダー大王の将軍だったアンティゴノスの息子であるデメトリウスがキプロスを征服。しかし、プトレマイオス朝エジプトは、紀元前 295 年にキプロスを奪還した。

下の画像は、キプロス島に残るプトレマイオス家の王家の墓。パフォス近くの海辺の丘に多くの墓が残されている。(詳しくはココをクリック。)

プトレマイオス家の王族の墓


エジプトを支配するプトレマイオス朝は、王族を派遣してキプロスを統治させた。しかし、分裂と内紛によりプトレマイオス朝は弱体化する。

そのころ、イタリアローマから勢力を拡大していたローマ帝国は、この地域にも食指を伸ばしていたんだ。やがてキプロスは古代ローマに奪われた。紀元前 58 年、古代ローマは初代総督をキプロスに派遣した。

ローマ

紀元前 47 年、古代ローマのシーザー(カエサル)はキプロスをエジプトに返還した。エジプト女王クレオパトラ 7 世への贈り物だった。

紀元前 31 年、アクティウムの海戦において、シーザーの養子オクタヴィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストウス)が勝利を得る。敗れたのは、アンソニーとクレオパトラ。ここにプトレマイオス朝は滅亡し、キプロスは再び古代ローマの支配下に入った。

紀元前 29 年、ローマから派遣されたキプロス総督マルクス・キケロ(雄弁家キケロの息子)がパフォスに着任した。これ以後、キプロス そして パフォスはローマの平和を謳歌する。

関連書籍

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